AboutA塾の理念
Concept コンセプト
「BEST STAGE FOR CHALLENGERS」
A塾は、生徒一人ひとりのための「ステージ」である。
演じるのはもちろん子どもたち。私たちA塾の講師は出演者全員の成功を願う裏方。
晴れの舞台に立つ仲間・先輩・後輩、生徒たち自らがパワーを発し、そしてまた別の生徒がそのパワーを得る。そんな教室、「挑戦者たちのパワーが連鎖する空間」であり続けたい。そして「がんばる子どもたちのために」A塾はこれからも存在していきます。
がんばる子どもたちへ
一生懸命やることの大切さを伝えたい
A塾はがんばる子どもたちが集う場所です。受験に向かって、夢に向かってがんばっている子を全力でサポートしたい、そう思い2000年に生徒3名と講師3人で開校しました。
いつからか一生懸命やることがかっこ悪いことになってしまいました。「個性」という言葉がもてはやされ、コツコツやるよりも好きなことをやればよい、そんな時代になってしまったように思われます。しかし、自分らしく生きるためには必ず努力が必要なのです。海外で活躍するスポーツ選手や芸能人も、テレビを通して見る華やかさの裏には並々ならぬ努力があります。決して「自分らしさ」と「一生懸命さ」は相反するものではありません。一生懸命やることが“かっこいい”と子どもたちに気づいてほしいと思っています。一生懸命やっていないと、“感じることができない”状態に陥ります。たった一つ、これを怠ることで、他のすべてに影響を及ぼすことになります。つまり、すべての物ごとが単なる情報として素通りしてしまいます。一生懸命やらないと本来見えてくるはずのものが見えてきません。
しかし、一生懸命やることで「さらに自分を成長させるために何が必要なのか」が見えてくるようになります。吸収力が格段に違ってくるわけです。そういう子どもたちは、自分よりがんばっている生徒、あるいは先生たちから学び取ろうと必死になって周りを観察します。もちろん塾という限られた領域の中だけでなく、その生徒が日常生活の中で関わるすべての物ごとに対しても学び取ろうと積極的になっていきます。一生懸命やっている者だけが感じられることがあるというのは、つまりは「意識」の問題なのです。
さらにA塾では、「一生懸命やること」とともに、「基準を意識すること」の重要性を伝えています。
社会にはさまざまな基準があります。高校や大学進学のための入学基準や企業へ就職するための採用基準などがそれに当たります。夢を叶えるための大前提として、そういった社会的な基準をひとつひとつクリアしていく必要があります。もちろんこれらは他人が決めた基準です。いくらその基準に対して疑問を持ったとしても、現実として存在する以上それらを乗り越えていかなければなりません。基準に背いて、自分勝手を押し通そうとしてもこの社会では通用しません。教育に関していえば、「ゆとり教育」の名のもと、近年は“学力基準”が下がっていました。しかし、その先にある高校や大学、あるいは就職試験などすべての基準が下がっているかといえば決してそうではありません。
「ゆとり教育」時代の公教育の基準を素直に受け入れていては夢を実現することはもちろん、目の前にある受験を突破することすら難しいのではないでしょうか。また、成績表が相対評価から絶対評価に変更されたことによって基準が見えにくくなってしまいました。だからこそ、今のうちから一生懸命やることによって、それらの基準を乗り越えることができるだけの力を子どもたちに身につけてほしいのです。もちろん、時がたてば基準も変わっていきます。基準が変われば取り組み方も変わります。しかし、それは単にアプローチの仕方が変わるだけのことです。目標に向かって努力することは、いかに基準が変わろうとも、それらを乗り越えるために必要となる普遍的な力になります。A塾に基準があるとすれば、それは「一生懸命やる」ということです。
私は、A塾を開校する時に「FURTHER AWAY」というキャッチフレーズを付けました。「もっと遠くへ」。A塾は合格実績や合格率を自慢するただの進学塾ではありません。もっと遠くへ、今よりもっと遠くへいける力、高く飛べる力を身につけたいという向上心を持つ、そんな子どもたちのための塾にしたい。「がんばる子どもたちのために」この思いを今までもこれからも持ち続けていきます。
A塾代表 村瀬 毅
HistoryA塾開講秘話
挫折・コンプレックスから、夢を抱き、そしてA塾開校へ
私は、かつて試験日当日に風邪をこじらせて中学受験を失敗しています。高校こそ進学校に合格しましたが、優等生にはなれませんでした。高校を卒業後、さしたる目的もなく就職へと進路を選択しています。「やっぱり大学にいかなければ」と本気で大学受験に取り組むきっかけとなったのは成人式でした。久しぶりにあった仲間たちがとても輝いて見えたからです。もちろん仲間たちの多くは大学生になっていました。この時私は、挫折とコンプレックスを強烈に感じました。これまでの私は、中学受験で身につけた力だけで中学・高校を渡ってきました。さしたる努力もせず「今はダメだけど本気でやればいつかできるだろう」という「やらない者」、「結果を出していない者」特有の言い訳をしていました。「中学受験の時、風邪を引かなければ」「あの時受かってさえいれば」と。しかし、凝り固まったコンプレックスを吹き飛ばす出会いが私を待っていました。大学進学を決意し、通い出した予備校がその舞台でした。
当時まだ21歳だった私が、その予備校でA先生と出会ったのはもちろん偶然です。しかし、はじめて受けたA先生の授業は偶然を必然に変えるほど、十分すぎるほどに衝撃的でした。その豊富な知識を総動員した授業は圧巻でした。歴史の話を交えながら国語の授業を行ったり、数学に哲学的な考えを持ち込んだり、そんな授業は人生ではじめてで、楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。勉強って本当に大事なものなのだという先生のメッセージが、授業を通してビンビン伝わってきました。いつかは塾や予備校の講師に、という私の将来ビジョンが立ち上がりました。しかし、A先生との出会いの意味はそれだけではありませんでした。
A先生は、日中は予備校で講師を努め、夕方以降は小中学生を対象とする学習塾の経営者であることを知った私は、さっそくその塾に出かけました。そこで私は、将来、学習塾を経営する自分の姿を青写真に焼きつけることになりました。その塾の教室を覗いた私の目に飛び込んできたのは、目を輝かせながら「ボクは弁護士になりたい」「私はお医者さんになりたいなあ」と自分の将来の夢を語り合い、それを実現するために一生懸命勉強している子どもたちの姿でした。未来に希望を持つ小学生や中学生。私にはたしかに中学受験を目指した経験はありますが、将来に展望があったわけではありません。合格を目指しただけでした。「あのころ、自分もこんなふうに、こんな気持ちで勉強していたら…」挫折を重ね、膨れ上がったコンプレックスを、要領の良さでごまかしながら何となく生きてきた21歳の私は、そのとき、小学生たちに本気で嫉妬していました。
さらにA先生の塾の洗礼は続きます。卒塾していったかつての教え子たちが、アルバイト講師として小学生の学習を全力でサポートしていることを知ります。循環する学習空間・連鎖するイズム。ここで学んだ者だけがここで教える資格がある、そんな環境を持つ理想的な塾。「塾講師になりたい。そして、いつか自分も塾を持ってみたい。こんな空間を子どもたちに与えてあげたい」私が将来に夢を持てた瞬間でした。私の原点はここで刻まれました。
後の人生に迷いはありませんでした。大学卒業後、愛知県の某塾に就職しました。すぐに業績があまり良くない校舎の塾長を任されました。真剣に授業をし、ご両親と面談を重ね、1年後、生徒数は倍増しました。塾講師や教室運営の経験を身体にたたき込み、3年後独立しました。この可児市の地にA塾の看板を掲げたのは2000年の春でした。そのA塾には「FURTHER AWAY」という言葉を添えました。「もっと遠くへ」という意味です。私はこの塾をただの進学塾にしたくありませんでした。もっと遠くへ、今よりもっと遠くへいける力、高く飛べる力を蓄えたい、そんな一生懸命がんばりたい子どものための塾にしたかったのです。当初は生徒3名からのスタートでしたが、その後順調に増え、3年後には現在の場所に移転しました。移転の理由としては、教室が足らなくなったこともありますが、下記に記載の「A塾第1次黄金期 T兄弟の思い出」にあるT兄弟が優秀な友人たちをたくさん連れて来てくれたこと、そして「この子たちに最高の空間を提供したい」と思ったことにあります。彼らは期待に応え素晴らしい実績を残し、今のA塾をつくり上げてくれました。
塾の講師は転勤がありません。私たちはずっとここにいます。小学1年生から高校3年生までですと、実に12年間のお付き合いになります。実際にそういう生徒もすでにいます。「がんばる子どもたちのために、最高の空間を提供したい」この思いをいつまでも忘れず、子どもたちの成長を見守っていきたいと思っています。
MemoriesT兄弟との思い出
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01A塾 第1次黄金期【T兄弟との思い出】
「A塾の理念」にもありましたが、A塾の発展にはT兄弟との出会いが欠かせません。もちろん他にもA塾に関わってくださった、感謝してもしきれない多くの方々がいらっしゃいますが、今回は特に思い出深いT兄弟のことをお話ししたいと思います。
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02【兄Hくんとの出会い】
A塾が開校した2000年3月、はじめてのチラシ募集でA塾に入校してくれた兄のHくん。入校の一番の理由は「家と塾が近いから」でした。振り返ると、まだできたばかりで信用も実績も何もないA塾によくぞ来てくれたものだと思います。Hくんは成績優秀、陸上部でも短距離走で優秀な成績を収める文武両道の中学2年生でした。1年生の頃は、常に学校の定期テストで400点以上を取っていたのですが、だんだんと勉強嫌いになり、2年生に上がってからは、300点を切ってしまうほど成績が下降していきました。当然ほかの塾にも通っていたのですが、「前の塾では、お菓子を食べて音楽を聞きながら勉強していた」と語っています。
A塾に入塾してからは、なぜか私たちと馬が合い毎日喜んで来てくれました。Hくんは、本来の姿を取り戻し、無事志望校の可児高校に合格。開校1年目のA塾生では唯一の可児校生でした。このときは、本人よりもお母さんが大変お喜びになり、安心なさっていたことが印象に残っています。 -
03【Hくんの勉強への姿勢】
高校生の塾生は彼1人だけになってしまいましたが、それでもA塾に残ってくれました。1・2年生のときは、部活動に明け暮れ、成績はぱっとしませんでしたが、3年生になると彼のすごさを目の当たりにすることになりました。目を見はるような集中力!特に好きな数学や化学を勉強する彼には、話しかけるのも戸惑うほどの姿勢で勉強に打ち込んでいました。成績はみるみるうちに上昇し、見事第一志望の「名古屋工業大学」に合格しました。専攻は応用化学で「担当のF先生に化学の面白さを教えてもらった。名工大はよく厳しいとされるけど、僕は大学の勉強も楽しくて楽しくてまったく苦にならなかった」と選んだ理由を話してくれました。そして「好きなことを職業にできた僕は本当に幸せだと思う」。これは最近会った彼が、同じ名工大の就職活動に悩む後輩に語っていた言葉です。
「人生には外してはいけない重要な時がある。その際にいかにして自分の力を最大値にできるかが重要なんだ。ゆっくりと準備を重ね、勝負の時に自分をピークに持っていく。今年がお前には勝負の時だ」と。現在彼は、東芝でリチウムイオン二次電池の開発に携わっています。 -
04【成績優秀な弟Aくん】
Hくんの弟Aくん。Aくんは小学生の時から勉強が得意で、習いごとのサッカークラブでは、常にレギュラーで活躍する、地域でも有名な優等生でした。兄のHくんが入塾してから遅れること1年、小学6年生の3学期に来てくれました。中学生に上がってからも、彼の成績は素晴らしいものでした。人気者でもあった彼が連れてきてくれた、その後のA塾第一期黄金世代を形成するNくん、Mくん、Sくん、Wくん、Kくんなどのメンバーとし烈な競争をし、常に学年上位をキープ。そして、兄と同じ可児高校に合格しました。高校合格時は、「母は僕の合格のことなどほとんど気に留めていない様子でした。それよりも3歳年上の兄の大学合格に涙していました(笑)」と語ります。彼が常に成績優秀であることは周知の事実だったのです。
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05【Aくんの挫折】
しかし、そんな彼に人生初の挫折が訪れます。2年生になるとなぜか成績が伸びない。本気で勉強しているわけでもないがサボっているわけでもない。友人たちは選抜クラスに入り、高校でも優秀な成績を収めているのに、自分だけは普通クラスに落ちた。なぜなのか理由がわからない。もがいてももがいても成績が上がらない。いつしか友人たちと一緒に勉強すること自体が嫌になり、平日に塾に来ることを拒むようになりました。しかし、塾は辞めず塾長の村瀬と日曜日に数学にのみ特化し、取り組んでいくことになりました。
後年彼はこう語っています。「あの時の僕はどん底で、今振り返れば、軽いうつ状態だったんだと思います。村瀬先生との日曜日が唯一の救いでした。先生は黙って何も言わず、僕に数学だけ教えてくれました。きっと僕がいつか復活することを信じてくれていたのですね」と。 -
06【Aくんの決意】
3年生となり、とうとう受験学年となりました。塾にもクラス編成があり、この時の私との面談で彼は決断します。「塾に戻ります。英語は上のクラスでやらせてください。今の成績は最悪ですが、やっぱり僕は友人たちや兄に負けたくない。名工大と互角以上の大学で文系の大学だと名古屋市立大学ですよね。かっこ悪くてもがむしゃらに勉強して僕は名市大に入ります!」 それから彼は本当に勉強しました。その甲斐があって10月ごろには成績が上昇。私は一筋の光が見えたような気がしました。そしてセンター試験、1年間の努力が実を結びました。国語と英語は170点超でしたが、数学があと一歩で、残念ながら名市大のボーダーラインにおよばず。「落ちてもいいから名市大で行きます!」兄と同じ凄まじい集中力で膨大な過去問題を解き、毎日のように国語と英語の添削のために私たちのところに来ました。この頃には完全に元の姿を取り戻し、南山大学においては4つの合格を勝ち取りました。
そして名市大の合格発表、彼は1年前の約束を果たします。「大学受験は本当に苦しいものでしたが、名市大に合格できたことが今の自分の自信となっています。『負けたくない』という気持ちさえあれば、今後もどんなことにも挑戦し、その壁を乗り越えられると思っています!」その後、就職活動においても不況のなか、公務員試験で見事合格を果たします。今は市役所の税務課で将来のエースと期待され、多くの研修に参加しています。彼の友人たちも早稲田大学、東北大学、神戸大学、明治大学、名古屋工業大学、南山大学、滋賀県立大学などの名門大学に進学しました。彼らのなかの理系の子はほとんどが大学院まで進学し今年就職します。 -
07【教え子は大切な存在】
冬期講習も中盤を迎える12月30日。A塾には毎年恒例の行事があります。私たち講師とA塾を巣立っていった生徒たちとの忘年会です。2012年も弟Aくんの学年を中心に、多くの卒塾生が全国各地から駆けつけ近況を報告してくれました。A塾をずっと好きでいてくれる彼らが私たちは大好きです。前向きでたくましい彼らと話をすることが本当に楽しい。この時彼らが私に言ってくれた言葉を紹介します。
Mくん「A塾は友人たちとの交流の場でもあった。家にいるよりずっと楽しい。だから毎日来ていた」 Kくん「Aくんがこの塾を紹介してくれなかったら今の僕はなかった。きっと勉強などまじめにやらず大学にも行っていなかっただろう。彼とA塾が僕の人生を変えた」 Aくん「授業中に先生たちが話す世の中や社会についての話を聞くのが好きだった。A塾では勉強だけでなく、人生についてもいろいろ学んだと思う」 彼らの言葉が私に勇気を与えてくれます。そして、私を開校当時の原点に導いてくれます。
現在私にも小さな子どもがいますが、自分の子どもたちが彼らのような青年に成長してくれたらこれ以上の幸せはないと思っています。 今の塾生たちにも10年後「A塾に入ってよかった」と言ってもらえるように、子どもたちの目標達成をサポートしつつ楽しい空間をつくる気持ちを忘れてはいけないと思います。だって塾の主役は子どもたちですから。
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